SSPではクマ対策の防護服を開発しています。開発にあたって最初抑えるべきは、「結局、クマに襲われた人は身体のどこをやられているのか」という根本的な疑問でした。
ネット上でもメディアでも、「顔が狙われるらしい」などの断片的な情報は伝わってきます。ただ、ふんわりした雰囲気では決めることはできません。胸を守るのか、顔を守るのか、首を守るのか。優先順位を間違えると、装備は無駄に重く・無駄に高く・しかも肝心な部位を守れていない、という最悪の物になってしまいます。
SSPでは熊防護プロテクターの開発を開始以来、さまざまな医学論文・法医学論文・統計データを、できる限り元の文献まで遡って読み込んで製品開発に活かしてきました。
せっかくなのでこの辺りの調査知見を公式サイトへ整理して公開することに致しました。
「クマ襲撃時に身体のどこを守るべきか」。結論を先にいうと、こうなります。
クマ被害の致命傷は、ほぼ「顔・頭・首」への爪による裂傷からの大量出血
胸でも、腹でも、脚でもなく、上半身の特に顔面付近。これが、複数の医学・法医学論文から見えてきた、いちばん大きな事実です。
以下、それぞれのデータを順番に見ていきます。
そもそも、いまクマ被害はどれくらい起きているのか
まず、議論の前提として「いまクマ被害はどのくらいの規模で起きているのか」を押さえておきます。
環境省が2026年4月7日に公表した令和7年度(2025年度)の人身被害速報値はこんな数字でした。
- 全国の被害者数:238人(統計開始以降、過去最多)
- うち死亡者:13人(こちらも過去最多)
- 被害件数:216件
- 出没件数:50,776件
これまでの過去最多は令和5年度(2023年度)の被害219人・死亡6人でしたが、それを被害者数で約9%、死亡者数で2倍以上更新した格好です。
過去5年の被害者数推移(全国)
| 年度 | 被害者数 | 死亡者数 |
|---|---|---|
| R3(2021) | 88人 | 2人 |
| R4(2022) | 69人 | 0人 |
| R5(2023) | 219人 | 6人(旧最多) |
| R6(2024) | 86人 | 0人 |
| R7(2025) | 238人 | 13人(新最多) |
都道府県別では、秋田が67人(死亡4)、岩手が40人(死亡5)と、東北の2県が突出しています。令和8年度(2026年度)も4月時点で被害6人・死亡1人と、勢いは止まっていません。
つまり、「クマに襲われたときの医学的な被害像」は、いまや一部地域の特殊な話ではなく、全国規模の公衆衛生課題に近いところまで来ているわけです。
出典:環境省「クマ類による人身被害について(速報値)」令和8年5月15日更新/env.go.jp/nature/choju/effort/effort12/
致命傷を起こしているのは、爪による「2〜5本の平行な裂傷」
ここからが本題です。
クマ襲撃で人が亡くなるとき、何が原因で死んでいるのか。これを真正面から調べた論文があります。秋田大学の Oshima & Ohtani による法医学論文(2018年)です。
秋田県内で発生した致命例 7例(ツキノワグマ5例、ヒグマ2例)の剖検所見を分析した研究で、被害者全員に共通する致命傷パターンが明確に示されています。
In all cases, the injuries, 2-5 parallel linear lacerations with severe hemorrhaging and decollement, were mainly located on the upper body.
Oshima & Ohtani 2018 / Forensic Sci Int.
全例で観察されたのは、こういう所見です。
- 2〜5本の平行な線状裂傷(クマの爪の本数と一致)
- 大量出血を伴う
- 皮膚剥離(decollement)を伴う
- 傷の位置は主に上半身、とくに頭部と顔面
クマは初撃で立ち上がり、爪で被害者の頭と顔から攻撃する、というのが研究の見立てです。これは行動学的にも一致するそうで、ヒグマでもツキノワグマでも、致命例の創傷パターンは似ています。

意外:頸部の咬傷は「死後についた」もの?
同じ論文の中で、もうひとつ重要な指摘があります。
致命例の中には、首のあたりに犬歯による4点穿刺の咬傷(4つの穴が台形状に並ぶ典型的なクマの咬み痕)が残っているケースがあったのですが、その周囲には大量出血が見られなかったのです。
これは何を意味するのか。論文の解釈はこうです。
These injuries were thought to be bite marks incurred by the bears’ four large canines, mainly occurring postmortem during the process of predation.
Oshima & Ohtani 2018
つまり、頸部の咬傷は被害者が亡くなった後の捕食行動でついた痕であり、死因そのものではない、という結論です。
これはライオンやピューマ、大型犬による致死的咬傷(首を絞めて窒息させたり頸動脈を破ったりするタイプ)とは決定的に違う、と論文では明記されています。クマの場合、命を奪っているのは「咬みつき」ではなく「爪による上半身の裂傷からの大量出血」と読めるわけです。
防具設計の観点でみると、これはかなり示唆的です。「咬まれないこと」より「爪を通さないこと」のほうが優先される、ということになります。
出典:Oshima T, Ohtani M, Mimasaka S. Injury patterns of fatal bear attacks in Japan: A description of seven cases. Forensic Sci Int. 2018; 286:e14–e19. PMID: 29530623
生存例でも、顔面はほぼ100%やられている
「致命例だと顔面・上半身がやられている」というのは、いま見たとおりです。では生存例ではどうかというと、これがほぼ同じ傾向でした。複数の医療機関が独立してまとめた症例集計を並べてみます。
| 研究 | 症例数 | 顔面 | 頭部 | 上肢 | 顔面骨折 |
|---|---|---|---|---|---|
| 鈴木ら 2018(秋田大学) | 13例 | 13/13(100%) | ― | 多数 | 10/13(77%) |
| 齊藤ら 2021(山梨県立中央病院) | 9例 | 9/9(100%) | 7/9(78%) | 6/9(67%) | ― |
| 加藤ら 2011(高山赤十字病院) | 4例 | 4/4(100%) | 一部 | 多数 | ― |
| Tsuchida et al. 2024(秋田大学) | 20例 | 18/20(90%) | 12/20(60%) | 14/20(70%) | 9/20(45%) |
地域も病院も時期も違うのに、顔面の受傷率がほぼ100%でそろっている。これはなかなか強い傾向です。最新のTsuchida et al. 2024(秋田大学 2023年20例)でも顔面90%、上肢70%、頭部60%という分布です。
「なぜそんなに顔ばかりなのか」については、秋田大学医学部附属病院の中永士師明 医師が、ぴったりくる言い方をされていました。
身長1〜1.5mのツキノワグマが立ち上がると、ちょうど人間の顔面の高さで攻撃が集中する。
言われてみると当たり前なのですが、データを見たあとで読むと納得感がまったく違います。本州のツキノワグマのサイズと、人間の身長との関係から見て、「顔」がいちばん当たりやすい位置にあるわけです。
ちなみに上肢の損傷も70%前後で多いのですが、これは「防御創(defensive wound)」と呼ばれるタイプで、顔をかばうために腕を上げた結果、腕で受け止めた傷だと考えられています。つまり腕は「盾の役目」を果たしている。後でもう一度触れます。
出典:鈴木ら「クマによる顔面外傷13症例の検討」頭頸部外科 2018; 28(2):183-190/Tsuchida H, et al. Acute Med Surg. 2024; 11(1):e70009/齊藤ら「当院におけるクマ外傷9例の検討」創傷 2021; 12(2):98-105/加藤ら「クマ外傷の4例」日本救急医会誌 2011; 22:229-235
救命例でも、後遺症の重さがそのまま残る
ここまでは「どこを襲うか」の話でした。続いて、生き残った人がどんな治療を受けているかを見ます。これは個人的にいちばんショックだった部分です。
鈴木ら 2018(秋田大学 顔面外傷13例)
- 顔面骨折:10/13例(77%)
- 気管切開(気道確保):8/13例(62%)
- 眼球破裂・摘出による失明:4/13例(31%)
- 出血性ショック:3/13例(23%)
- 頭蓋底骨折:1/13例
- 平均入院日数:50日(2〜185日)
- 頭頸部以外では上肢の損傷が10例で最多
Tsuchida et al. 2024(秋田大学 2023年20例)
- 顔面損傷:18/20例(90%)
- 顔面骨折:9/20例(45%)
- 出血性ショック:3/20例(15%)
- 気管挿管:3/20例(15%)
- 緊急手術:52.6%
- 失明など重い後遺症:15.8%
- 受傷場所が「人里・住宅地」だった割合:75%
2研究で出血性ショックの割合に差があるのは(23% vs 15%)、症例の重症度の母集団が違うためです。鈴木ら2018は「顔面外傷で大学病院に搬送された重症13例」、Tsuchida 2024は「秋田大学で治療した2023年の全20例」と母集団が異なるので、数字をそのまま比較するより、「どちらの集計でも気道確保と緊急手術が必要なケースが続出している」という事実のほうを見るのがいいと思います。
とくに鈴木ら2018の「気管切開62%(13例中8例)」はインパクトが大きい数字です。顔面が破壊されて気道が確保できないため、首に穴を開けて呼吸させる必要があった、というケースが13例中8例。平均入院日数50日、最長185日。職場や家庭への影響を考えると、防具云々の前に、被害そのものの重さがすごい。
そしてもうひとつ重い数字が、Tsuchida 2024の「人里・住宅地での受傷75%」です。山奥のレアな事故ではなく、生活圏で起きている。これは現状認識として重要なところです。
CT画像で見ても、やはり顔面と胸部
もうひとつ、ごく最近(2025年)に発表された秋田大学のCT研究も紹介しておきます。31例のクマ外傷患者に対して全身CTを撮影し、顔面外傷重症度スケール(FISS)と外傷グレードで評価したものです。
- 対象:31例(男性22、女性9)
- 顎顔面損傷:約90%
- 胸壁損傷(AAST Grade II以上):31例中3例 = 全体の約10%、長期入院群15例に絞ると20%
- 腹部・骨盤の損傷:0例(0%)
- 長期入院群(18日超)と短期入院群を比較すると、FISSスコアと胸壁損傷グレードの両方が長期入院群で有意に高い
注目すべきは、腹部・骨盤の損傷がゼロだったこと。クマは上半身を狙う、という他の研究の傾向と完全に一致します。一方で、頻度こそ低いものの胸部に Grade II 以上の損傷が出ているケースもある(しかも入院期間を有意に伸ばす要因になっている)。
つまり、被害部位を頻度の順に並べると、こうなります。
顔面 > 頭部 > 上肢(防御創)> 胸部 > 下肢 > 腹部
出典:CT-based assessment of bear-inflicted maxillofacial injuries. PMC12575559(2025年)
「うつ伏せ姿勢」は有効。ただし、できる人は10人に1人
では防具ではなく「行動」で身を守る方法はないのか。これも、ちょうど良い研究が秋田大学から出ています。2025年7月号の臨床整形外科に掲載された、整形外科学講座の石垣佑樹 医員らによる論文です。
秋田県の令和5年度(2023年度)の被害70症例を整形外科の視点から解析した研究で、結果はとてもクリアでした。
- うつ伏せ姿勢をとれた人:7人(全体の10%) → 全員が非重症
- うつ伏せ姿勢をとれなかった人:63人 → うち23人が重症化(約37%)
- 重症の定義:多発外傷/全身麻酔下の手術が必要/指や手足の切断 など
- 受傷場所は「里地・居住地」が60%
うつ伏せで頭と首を腕で覆う姿勢は、欧米でもクマ遭遇時のセオリーとして紹介されてきましたが、実データで「重症化を有意に減らしている」ことを示した日本国内の論文は、おそらくこれが初めてです。これは大きな成果だと思います。
ただし、ここでひとつ冷静になりたいのが、うつ伏せをとれた人は全体の10%しかいなかった、という事実です。
残り9割は、不意の遭遇/背後からの襲撃/立ち上がっている最中の襲撃 などで、姿勢をとる前にやられている。つまり「うつ伏せが有効」と「うつ伏せができる」は別の話で、現場の実情としては9割は姿勢で守れていないわけです。
これは「うつ伏せはダメ」という話ではなく、「うつ伏せ+装備」という二段構えが必要、と読むのが正しいと思います。装備で守るべき部位は、ここまでの論文がすでに示してくれています。
出典:石垣佑樹、木村竜太、宮腰尚久ら「クマに対する防御姿勢は有効か?―秋田県令和5年度データの解析―」臨床整形外科 2025年7月号/秋田大学プレスリリース 令和7年6月12日
結論:守るべき場所には、はっきり優先順位がある
ここまでの論文を一枚絵にまとめると、守るべき部位には階層があります。
最優先:顔・頭・首
- 致命例の全例で2〜5本の平行な裂傷+大量出血が上半身に集中(Oshima & Ohtani 2018)
- 生存例でも顔面はほぼ100%受傷、CT研究でも90%
- 顔面骨折77%、気管切開62%(鈴木ら2018)
準じる優先:胸部
- 頻度は顔面より低いが、胸壁損傷Grade II以上のケースが入院期間を有意に伸ばす(CT研究2025)
- 肋骨骨折・肺気胸のリスク
「盾」としての腕
- 上肢の受傷は70%前後で多いが、これは顔をかばった結果の防御創と解釈されている
- つまり腕は「攻撃されるから守る」というより、「顔を守るための盾」として機能している
逆に、頻度が低かったのは腹部・骨盤・下肢です。CT研究では腹部・骨盤の損傷は0%。ここを優先して厚くしても、得られる安全のリターンは小さいということになります。
これがSSPで「全身を覆う防護服」ではなく「顔・首・上半身・腕」に絞った装備から開発・販売をしている理由です。データから見て、ここを優先しないと、防具として理にかなわない、というだけの話なのですが。
参考:SSP BEAR
本記事の結論は、SSPが現在開発・販売しているクマ対策防護服「SSP BEAR」シリーズの設計思想とそのまま重なります。
- SSP BEAR MASK:顔・耳・喉元・うなじ(医学データ上の最優先部位)
- SSP BEAR VEST:胸・腹・背中・脇腹(準じる優先部位)
- SSP BEAR ARM:上腕・前腕(盾として機能する部位)
クマの一撃そのものを止めることはできません。ですが、爪と牙が通らないようにし、衝撃を吸収する時間を伸ばすことはできます。SSPが目指しているのは、その方向です。
出典一覧
統計データ
- 環境省「クマに関する各種情報・取組」(令和8年5月15日更新の速報値を参照)
- 環境省「R07年度におけるクマの人身被害件数[速報値]」
医学文献(致命傷の法医学分析)
医学文献(臨床症例)
- 鈴木真輔、辻正博、椎名和弘 ほか「クマによる顔面外傷13症例の検討」頭頸部外科 2018; 28(2):183-190
- Tsuchida H, Satoh K, Hirasawa N, Okuyama M, Nakae H. Characteristics of black bear-related trauma: A retrospective observational study. Acute Med Surg. 2024 Oct 7; 11(1):e70009. PMID: 39376231
- 齊藤景、梅澤和也、小林公一「当院におけるクマ外傷9例の検討」創傷 2021; 12(2):98-105
- 加藤雅康、林克彦、前田雅人 ほか「クマ外傷の4例」日本救急医会誌 2011; 22:229-235
- CT-based assessment of bear-inflicted maxillofacial injuries. PMC12575559(2025年)
医学文献(防御姿勢の有効性)
- 石垣佑樹、木村竜太、宮腰尚久ら「クマに対する防御姿勢は有効か?―秋田県令和5年度データの解析―」臨床整形外科 2025年7月号(秋田大学プレスリリース 令和7年6月12日)
専門家コメント
- 秋田大学医学部附属病院 中永士師明 医師(メディア取材コメント、2024-2025年)
本記事内の数値は、上記文献および環境省公表統計に基づき記載しています。記述に誤りや更新すべき点がございましたら、お問い合わせフォームよりご指摘ください。



