なぜ、戦国時代?
近年、刃物による犯罪のニュースを聞くたび、「もし刃物で負傷したら・・・」という問いが常に頭にあります。もちろん最善策は現代の医療を速やかに受けることに尽きます。救急車を呼び、専門医療機関で処置を受ける――それが一番安全なのは言うまでもありません。また現代医学をベースにした応急処置(ファーストエイド)も非常に重要な知識となります。
しかし、刃物で斬られるような悲惨な状況は何も現代に限った話ではありません。むしろ合戦が絶えなかった戦国時代、武士や足軽たちは刀や槍、弓矢だけでなく鉄砲までもが飛び交う過酷な戦場を生き抜いていました。そんな荒れ狂う戦乱の只中でも、彼らはどうにかして負傷を治療する必要があったはず。
調べてみると、当時には金瘡医(きんそうい)と呼ばれる外科医が刀創(かたなによる傷)や槍傷の手当てを専門に行っており、「医療が乏しい時代なりの知恵」が凝縮されていたことがわかります。
もちろん、現代人の衛生観念や医療水準から見ると、彼らの処置には「そんなやり方で本当に大丈夫なのか?」と思うような荒療治も多数あります。馬糞を汁にして飲む、人糞や塩をすり込むなど、今の目で見れば危険にしか思えない民間療法は確かに多い。ところが、紙と膠(にかわ)を使った簡易的な創面閉鎖や、紫根草(しこんそう)で止血するといった方法には、一部現代の応急処置にも通じる工夫が感じられるのです。
「こんな時代遅れのやり方が、今になって役立つことなんてあるの?」と思うかもしれません。ただ、緊急時には必ずしも医療器具や消毒薬が手に入るとは限りません。何もない荒野、あるいは避難所や災害時に、限られた物資で少しでも命をつなぐにはどうしたらいいのか――その際、かつて合戦が絶えなかった時代の人々が用いた“最低限の材料と知恵”は無視できないヒントになり得る・・・かもしれません。そんな思いで調べてみました。
現代治療と照らして見えてきた、「意外な長所」と「乗り越えられない壁」
■ 応急処置として光るポイント
戦国時代の外科治療、とりわけ金瘡医が行った技術の面白い点は、「限られた環境でも最低限やるべきことはやる」という意識の高さです。
1. まずは止血
刀傷や槍傷は出血量が多くなればなるほど危険度が増すため、布や紙で圧迫止血をする、縄や布切れを使って縛る(止血帯に近い発想)などが優先されました。単純な方法ですが、命を繋ぐうえで最重要のステップです。
2. 創面を守る
紙と膠で傷口を貼り合わせるという処置は、今日の「テープや絆創膏で傷口を閉じる」手技に通じる部分があります。表面的には粗雑ですが、可能な範囲で細菌が侵入しないよう創を保護する発想は現代的ともいえます。
3. 破傷風などを警戒して何とか消毒を試みる
焼酎や尿など、当時入手可能な“消毒っぽいもの”を使って傷を洗浄する例が記録に見られます。尿は衛生的に考えにくいですが、中に含まれるアンモニアで多少の殺菌効果を期待したとも推測され、追い詰められた環境なら「ないよりまし」とされたのです。
4. 漢方薬や生薬の応用
• 紫根草の粉末を振りかけて止血する方法などは、のちの漢方製剤にも発展し、現在も一部使われています。戦国の武士が携帯する常備薬の代表例として知られ、粉をかけるとすぐ皮膜ができて血が止まりやすくなるそうです。
こうした応急処置は、戦場で一刻を争う中、「とりあえず自分たちでできることをやる」という“DIY外科”のような発想でもありました。もちろん現代の手術レベルとは比較になりませんが、“やれる手段がない中でも生存確率を上げようとする姿勢”は、たとえば災害時などの緊急状況においても応用できるヒントになるでしょう。
■ どうしても越えられない限界
一方、戦国期の外科治療が現代医療と同等かといえば、言うまでもなく大きな隔たりがあります。
• 感染症対策の弱さ
当時は抗生物質どころか、消毒の概念自体があいまいでした。破傷風菌に汚染された泥や糞尿が傷口に入れば、特に足軽のような下級兵は医者にかかる間もなく亡くなったと言われます。
• 麻酔や外科器具の未発達
大きな傷を縫い合わせるのも、無麻酔で針を通す地獄のような痛みを伴いました。内臓が飛び出すほどの刀傷や銃創であればほとんど助からず、何とか縫合しても感染や高熱で数日後に命を落とすケースが多かったと推測されます。
• 兵士の身分格差
武将や上級武士は比較的良い治療を受けられたようですが、多数の足軽たちは軽装備で危険な最前線に駆り出され、負傷しても放置されることが少なくなかったそうです。下級兵まで細やかに手当てが行き届く現代の医療体制とは大きく違います。
こうした現実を見ると、戦国外科の方法を「そのまま現代で試す」のは非現実的です。むしろ私たちが学ぶべきは、「資源が少ない状況でもどう応急処置を組み立てるか」「致命傷をどう避けるか」というアイデアや知識の面にあるのかもしれません。
防刃ベスト屋としての視点
防刃ベスト屋として、戦国の負傷データや治療事例を調べて改めて感じたのは、やはり“そもそもどこを守るべきか”という防御発想の大切さです。
戦場における致命傷の多くは、首・胸・腹といった太い血管や重要臓器が集中する部位でした。戦国武将たちも最も重厚な鎧を胸や背中、首周りに配していましたが、逆に足軽はそこまで装備を持てず、槍の柄や刀剣による打撃・切り傷であっけなく命を落としたのです。現代でも、もし刃物に襲われる恐れがある場面が想定されるならば、防刃ベストや切創防止用の衣類が“急所をどれだけガードできるか”が生命線となります。
もう一つ重要なのは、「もし傷を負ったらどうするか」という知識を普段から備えておくこと。もちろん第一は病院に行く、救急車を呼ぶですが、すぐに医師の助けを得られない場合もあるかもしれません。そんなとき、戦国時代の知恵のように、最小限のことをやるだけでも生存確率は上げられるでしょう。
もちろん、戦国期の治療には危険な迷信やリスクの高い療法も混在していました。私たちはそこを鵜呑みにするのではなく、現代の知見と照らし合わせて“使える部分”を抽出する必要があります。具体的には、合理的な現代医学をベースにした応急処置コース(TACMEDAなど)をきちんと受講するべきです。ただ、たとえ荒削りであっても、迫りくる死の淵で必死にもがいた人間たちの工夫は、普遍的で重要な精神であり、その精神はいざというとき意外な助けになるかもしれません。
まとめ
合戦が絶えなかった戦国時代、兵士たちや金瘡医は非情な戦場で生き残るため、さまざまな応急処置のアイデアを生み出しました。現代の目には奇妙なものも多いですが、紙と膠による傷の固定や紫根草の止血など、一部には今でも応用できそうなエッセンスも隠れています。
とはいえ、やはり現代医療ベースが最善という前提は変わりません。まずは「急所を守る備え」を考え、もしもの際は「専門医療につなぐまでの応急処置」を心得ておく。その意識を常に持っておきたいものです。
実際のところ、災害や突発的な事件で医療がすぐ届かない場合は多々想定されます。そういう場面でこそ「戦国の荒野で使われた知恵(精神)」が、ほんの少しでも力になるかもしれません。古の戦国外科から現代の防刃装備まで、時代を超えて学ぶことで、「どんな環境でも何としても生き延びてやる」力を磨きたいものですね。
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